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昔ながらの文化が息づく下町風情、
その魅力に共鳴する新しいセンスが交差する町、千駄木
かつて、夏目漱石、森鴎外、樋口一葉など、多くの文豪が住み親しんでいたことで知られるこのエリア。歩いてみると、彼らよりずっと昔から人々が積み重ねてきた歴史の片鱗がそこらじゅうに見つかります。
今昔の地図と町並みを見直すだけでも、住む人と共に姿形が塗り替えられてきた深みを感じる歴史の街。昔ながらの人情商店街と、文化的な趣きに惹かれてやってくる若い世代も多く、路地には古さと新しさを融合したカフェや雑貨屋さんも増え、ぶらりと散策しても興味は尽きません。
魅力満載のこのエリア、きっと自分なりの楽しみ方も見つかるはず。
彬
番番
憩
カネコ
爬虫類両生類研究所8喫茶分室
谷中ボッサ
コーツト カフェショップ
豆腐room Dy's
こばきや本舗茶茶
みのりcafe
千駄木倶楽部
エスプレッソファクトリー
千駄木喫茶ギャリコ
根津のたいやき
古書bangobooks
根津 手打ち蕎麦 三里
dou dou
mais D.cuir
旅べーぐる
顕本寺
海蔵寺
大林寺
長元寺
浄心寺
眞浄寺
浩妙寺
正行寺
西善寺
光源寺
日本最初の女流文学誌「青踏」発祥の地
森鴎外記念館
漱石「猫の家」跡
漱石「猫の家」跡
居酒屋 彬
この土地で店を始めてから21年になります。開店当初から日本医大の先生方や看護師さん方にはよく利用して頂いていて、非常に感謝しています。
その中でも小澤先生はよく顔を出してくださる先生のお一人ですが、物静かな、感じの良い先生です。食べ物の好みも分かっているので料理もお任せで出しているほど馴染みのお客さんです。
大勢でもいらっしゃいますが、若い先生や学生をお連れになってカウンターで熱心にお話を聞いたり、励ましたりしている様子もよくお見かけします。
千駄木は、今も昔ながらの人と人との繋がりが残っている土地です。お店にいらっしゃった先生方との交流のなかで、ご近所さんに診療科を紹介して頂いたり、お店にお客さんを紹介してくださったりということもありますよ。
彬へ初めて行ったのはもう5、6年も前で、きっかけはよく覚えていないのですが、今では、居心地がいいので良く利用していますね。お店の隣が店主のご実家の魚屋ということもあって、魚がすごく新鮮で美味しく、本当にオススメです。
自分は、日本医大の卒業生ではなく、ご縁があってここにいる“外から来た人間”ではありますが、学生を預かる身として、彼らに負けないほど「心の母校」として日本医大を大切に思い、その上で学生諸君に一生懸命頑張ってほしいと願っているので、先ずは自分が率先して、日本医大と千駄木地域をよく知り、愛着を持つことが大事だと思っています。その土地を知るために一番の方法は、そこで生活する方々と繋がりを持つ事です。その意味でも、こちらに赴任して来てからは、この界隈のお店に多く足を運ぶようにしています(酒飲みの少し高尚な言い訳かな)。いまでは馴染みのお店もいくつかあるんですよ。
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番番
炒めた野菜を特別のスパイスで味付けをしたオリジナルの番番ライスが店の看板メニューで、今年で37年目になります。オープン当初は出前はやっていなかったのですが、当時の解剖学教室の田沼先生からお願いされたことをきっかけに始めたところ、多くの先生や職員の方に利用していただくようになりました。特に救命救急の方々からはよく注文をいただいていて、東日本大震災があった日は、主人が真っ先に「救急が忙しくなるからすぐに差し入れにいこう」と言って、店にあるものをまとめて差し入れにいっていました。
日本医大の先生方は本当に気さくな良い先生方ばかりで、よくお店にも顔を出してくださったり声をかけてくださっていました。主人が亡くなったためお店は閉めてしまったのですが、今でもお昼のお弁当で「番番ライス」を続けています。
番番では食べる物が決まっていて、必ず特製焼きそばか、肉番番焼きそば。ボリュームも充分で、救急で働いていて体力的にも精神的にも疲れた時に食べたくなる定番メニューです。学生時代からお世話になっていましたが、医者になってから、番番のおやじさんが転んで頭をケガした時に私が処置したこともありましたね(笑)。
10年ほど前に長い関連病院の勤務から復帰した時に、最初に食べた昼食が番番の肉番番焼きそばだったと思います。私にとっては日本医大と切っても切れない元気が出て、かつほっとする味です。 震災の日は、外での会議から戻る電車の中で地震に遭い、20分程缶詰になりました。交通機関はすべて不通になったので、霞が関から徒歩で約1時間半の間、救命救急センターチームに指示を出すほど慌ただしい状況でした。当日は気づかなかったのですが、災害時や緊急時だけでなく、普段から番番をはじめ皆さんには差し入れを頂いたりで、地域の暖かい支えを感じています。
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憩
本当にたくさんの日本医大の先生方に来ていただいています。先生方はお忙しいので食べられる時にしっかり食べて頂きたいと思い、大盛り、特盛も提供しているのですが、新人の先生に憩のスタミナ大盛りを食べさせるのが恒例になっている診療科もあるようですね。
先生方とは語り尽くせないほどのいろんなエピソードがありますね。印象的な先生といえば、やはり昔から外科の先生が多いですね。出前用に岡持ちを導入したのも救命救急の大食漢の先生がきっかけでした。今は退職された心臓外科の小泉先生は今でも思い出します。ご自分のお好きな席が決まっていて、いつもその席に座っていました。豪快な方で、看板がおりていてもお店に入ってこられて、気づけば寝てられたり(笑)。とてもきれいに食べる気持ちのいい先生でしたよ。
憩は、日本医大の先生が第二の医局のように利用しているお店で、病院にいなければ憩に電話してみるというくらいです。その名の通り“憩いの場”という感じで、他科の先生方とのディスカッションの場にもなっています。普段はお会いしない他科の先生に分からないことを聞いたり、「今度の患者さんをよろしくお願いします」と伝えたり、そういった交流ができるのも魅力です。お店の方には、いつもオーダーするメニューや好みを分かっていただいているので、本当に落ちつけるほっとする場所ですね。
以前、呼吸器外科の部長をされていた小泉先生もよく憩に通われていたお一人で、個性的で豪快な先生でしたね。お店では先生の席が決まっていたので、もしその席が埋まっていたら、みんな自然と譲るようになっていましたね(笑)。
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カネコ
日本医大の方々には、最初は学生時代にお見えになって、その方がお医者様になられても変わらず来て頂いています。今でも学生さんのサークルの飲み会に使っていただくのが恒例となっています。明治生まれの先代が女将の頃は、日本医大の学生さんもまだまだ血気盛んで、よく大騒ぎをして怒られていましたよ(笑)。座布団がお部屋を飛び交って、障子を張り替えたりだとか。厳しかった当時の女将は「塩まいとけ」と言ってよく怒鳴っていましたね(笑)。当時お庭にあった池で泳いだとおっしゃる先生もいらっしゃいますが、やはり叱られたようです。そんな女将でしたので、日本医大の学生さんの間では名物婆さんだったようですよ。立派になった先生方から「あの婆さん元気にしてる?」と声をかけて頂く事もしばしばありました。 日本医大の方々とは50年以上も前からのおつきあいなので、学生だった青年が立派なお医者さんになられていく様子を見ているのは、一緒に成長しているようで大変楽しいものです。
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学校法人日本医科大学 アクションプラン21:新病院建設プロジェクト